本文へスキップ

工場を記録する会は東大阪市製造業事業所の活力を記録しています

平成28年度  東大阪市
地域まちづくり活動助成事業

小西製薬 株式会社
上石切町2丁目
水車の盛衰と小西製薬の事業展開
 生駒西麓では江戸時代に水車を利用した産業が興った。音川(おとがわ)沿いの辻子谷(ずしだに)では、寛永年間(1624〜1644)に後藤久衛門が胡粉製造・製粉・油絞りを始め、元禄年間(1688〜1704)には薬の細末加工が始まり、以後、薬種加工が7割を占め、胡粉・マンガン・ゴム・綿実油絞りが行われた。
 小西家ではこの時代に小西嘉平が水車を利用して、製粉や河内木綿の油絞りの仕事を始め、その後、小西家と水車の関係は続いた。明治末〜大正初期、辻子谷の水車は最多の43輌が稼働していた。大正4(1915)年、分家となった小西金次郎が和漢薬の粉末製造に転換して医薬品生薬粉末製造の基礎を築いた。
 電気が普及すると水車は急速に数を減らした。昭和25(1950)年以降、電化の進展で次第に水車の利用は減ってゆき、昭和40(1965)年ごろには全部電力に切り替わった。この時代、昭和42(1967)年に二代目小西保が医薬品の製造承認を申請し、昭和55(1980)年には小西製薬株式会社を設立した。最後の水車が止まったのは昭和57(1982)年であった。

三代目小西秀和さん(現社長)  
     『鳩まめ倶楽部』ホームページ2012年9月5日「辻子谷の伝統製薬業」より引用 
 「小西さんが子どものころは、辻子谷には水車がいくつもありました。道修町との往来には牛車も使われていました。台風の時は、水量が増し、水車が激しく回ります。水車を守るため、水路を切り換えなければいけません。小学生の小西さんは、弟といっしょに雨風の中を作業に出かけました。」
 「道修町で漢方薬の勉強をした小西さんは、父親に水車を残すよう献言しますが、時代の趨勢で叶いませんでした。最後の水車が停まったのは1982年。小西さんは、近代的な工場経営を目指しながら、辻子谷工場に残された“一本胴搗き”の設備を活かす道を選びます。作業効率は格段に劣りますが、処理熱で香りや薬効を損なうことがありません。高速機械ではできない「ちり粉」という超微粉末にも大きな役割があります。今では、品質にこだわる企業からの委託が続いているようです。」

事業承継者小西秀治さん(現専務取締役)
 高井田地区にも最新技術の工場をもつ小西製薬では、自社ブランド「花扇印(はなおうぎしるし)」で、医療用医薬品・一般用医薬品をはじめ、医薬部外品・化粧品や健康補助食品も製造販売している。花扇には邪気を払うといういわれもある。その説によれば、漢方医薬品のシンボルには相応しいという見方もできる。
 伝統製法と、最新技術を融合したものづくりへの挑戦が続く。生薬では原料調達から、刻み、粗砕、粉末などの最終製品にいたるまで医療用に、一般用に製品を提供いたしている。健康食品原料の殺菌・製粉加工は、透過性の良い高圧蒸気の特徴を生かした流動型高圧蒸気殺菌機により、品質の劣化が少ない高温短時間殺菌ができる。
 2016年5月21日に開催したシンポジウム「モノづくり長寿企業に学ぶ」において小西秀治さんは次のように語った。「ちょうど、最後の水車が停止した年に生まれました。父からは『粉末が軸となる。粉末で天下を取れ』と言われています。父が導入した殺菌器で会社が大きく動きました。
殺菌方式には乾熱殺菌と湿熱殺菌とがあります。小西製薬では 高温短時間殺菌のできる湿熱殺菌を採用しています。湿熱殺菌は130℃の加熱蒸気場に入れると、秒単位の短時間で殺菌することが出来ますので、原料への熱の影響は小さく、材料の色、香りが失われるのを最小限にとどめております。この技術が大麦若葉のブレークで活かされました。弊社が東大阪市で操業する意義は、辻子谷の伝統製薬業の歴史を残すことです。その重要性をひしひしと感じています。」

石切東小学校児童の工場見学
 小西製薬株式会社は上石切町に本社工場とともに辻子谷工場を有している。地元の石切東小学校の児童が行う工場見学に協力して、10年来、辻子谷工場を案内している。昨年までは5年生が工場見学をしていた。見学した5年生が家族と出かける時に工場の前を通った際、「お母さん、ここで漢方薬を作ってんねんで。私、学校から見学してん」と話しているのを小西秀治さんが聞いた。地域の子どもたちに伝統製薬が伝わっているのを実感した場面であった。今年は6月に3年生が校区探検の一環で見学した。その感想を以下に紹介する。

●江戸時代から明治、昭和のはじめごろまでここ石切は音川沿いに、薬の原料となる植物の根、茎、葉っぱ、幹のかわなどを口にはいりやすいようにこなにしたり、きざんでお茶のようにせんじてしようできるようかこうしていました。 生薬さんぎょうがさかえていました。
●〈昔にタイムスリップ!?〉 「薬には水車」というほどやくだっていました。 今では電気を使って動かしていますが小西せいやくでは水車と同じ昔のきかいが使われていました。 これで3万円もする線香を作っていたとはビックリでした。 おふろにいれるこなも作っています。
●いろいろなことが分かってうれしかったです。 こうくたんけんができてよかったです。
●わたしは、かんぽうやくの工じょうに行きました。いろんな人がはたらいていて「がんばってるなー」と思いました。
●小西せい薬では、一日一日てまをかけているんだと、よく分かりました。
●ちょっとくさいけど、たてものの中はましでした。 かんぽうのことをおしえてくれた人は石ざきさんでした。まずクラッシャーでくだきます。 オウバクをクラッシャーの大きいのでこなごなにします。 またまたきかいでつぶして、しあげにタンクにざいりょうをいれてこなごなにしたらできあがりです。
●くさかったけどだんだんなれました。 くすりをつくっているところを見れてうれしかったです。
●小西せいやくはいろんなざいりょうを使っているのが分かりました。 いっぱいさかがあったのでつかれました。