本文へスキップ

工場を記録する会は東大阪モノづくりの活力と魅力を記録しています

平成29年度  東大阪市
地域まちづくり活動助成事業

株式会社 カツロン
高井田中1丁目
日之出食品株式会社の事業はどのように推移したか。
 祖父の代より親交のあった山澤正雄氏と石川丈夫氏は、昭和24年、日之出食品株式会社を山澤家の屋敷内に設立した。チョコレート原料をタバコの形に成形する押出機を造らせてタバコ形チョコレート菓子の製造・販売という事業を起こした。誰もが甘いものに飢えていた世相を見て、必ず売れると考えた。
どんどん売上が伸びて菓子問屋街の松屋町に問屋を開くまでになった。ところが昭和30年代に入るとサッカリンではない砂糖を用いたチョコレート菓子が出回って売れなくなる。創業当時から使っていた円柱の形状のチョコレートを押し出す機械は、樹脂の押出にも使えることから、新規の設備投資が要らないので樹脂を成形してビニールホースの製造を始めた。昭和36年のことである。
その2年後に社名を“かつや株式会社”に変更し、さらに昭和45年、資本金150万円に増資するとともに定款を“合成樹脂成形加工業と付帯する一切の事業”に変更した。

機械は同じでも初めての樹脂成形なので挑戦、改良の連続であった。
樹脂の成形を始めた時は、水まきのホースであったり雑貨であったり値段をたたかれた。ビニールホースはすでに製造されており、より質の高い素材を用いて高級ホースとして売り出すことで他社製品との差別化を行った。このホースは現在も製造しており、多くの企業に愛用されている。ただ現在の売上構成でいえば1%ぐらいである。
必死の商品作りで付加価値の高い商品を開発していった。なかでも特に積極的に取り組んだのが『柔らかい素材』の成形である。硬い素材は一度成形すれば形は崩れにくいので比較的加工が簡単とされていた。一方、柔らかい素材は変化しやすいため成形にあたって常に注意が必要であることから、あまり他の企業が手を付けていない分野であった。ここをチャンスと捉え、あえて『柔らかい素材、なんでも対応します!』という内容のポリシーを掲げて発注を募った。自ら掲げたポリシーはしっかりと守りぬこうと、素材の研究や金型の試作を繰り返し、一つ一つ依頼に対応した。
挑戦、改良を積み重ねて次のような製造技術の強みを創りだした。「材料の仕入れ・配合・管理から、押出成形・梱包・出荷まで、製造の全ての工程を一気通貫で行うため、品質管理がゆき届いています。また、検査機器、ラインなどに設備投資を行い、積極的に品質管理力の向上を目指しております」(ホームページ「カツロンの技術力」より引用)。なお、現在の製品についてはホームページ採用情報に「身近なところにカツロン」と題してあらゆる生活シーンで活躍している様子が紹介されている。

昭和53年、2代目社長に就任した石川宏氏は、奈良工場、八尾工場を設置し、本社事務所を新築した。これらの事業展開を可能にした要因とは…
昭和24年の創業時は山澤家の屋敷内で工場を操業した。生産規模が拡大して敷地内から、道を隔てた向かい側にあった山澤家所有の倉庫を工場にして、本社をプレハブで建てた。なんとか自前の工場を持ちたいという思いでやってきた。資金面での目途が立ち平成元年に奈良工場を建てた。業績が急激に伸びたので八尾工場、本社新築が可能になった。ただ売上が20億円に達していない時にピークの借入金が20億円を超えた。幸いだったのは客先が安定していて不渡りをくらうのがなかったことである。客先は時代とともに入れ替わり、メインはすべてオーダーメイドの仕事である。営業が売りに歩かなければいけないような仕事はしていない。カツロンに話せばなんとかなる、参考になるような情報がもらえる、というのがカツロンの文化である。ホームページ採用情報の社員紹介で営業部荻野大輔課長は「カツロンの営業は『今世の中にないもの』を作る仕事です。お客様の要望を聞き、素材や細部の仕様提案、試作の立ち合いから製品の完成まで全ての工程に携わる仕事です」と語っている。

平成8年9月に本社工場を新築した直後の11月、社名を株式会社カツロンに変更し、4550万円に増資した。何を目指したのか。
同族会社から脱却したかった。ちょうど運良く大阪中小企業投資育成株式会社からハガキが来て「関心はおありですか」と問うていたので、「はい」と答えたところ、話が進んだ。資本金2,000万円を4,550万円に増資した。投資育成会社には「同族を消したい、それが第1の目標です。そのためになんぼまでもってもらえますか」と逆に出した。それが筆頭株主という結果になった。「1割配当したらええねやろ」という意識があり「無配当になったら、なった時のことや」の心境であった。そして会社がここまで発展したのは社員のおかげなので社員持株会を発足するため石川の親族から1割を時価価格で買って非同族にできた。

平成10年に特許願を出し、14年に国内特許登録ができた。3次元ハイブリッド製法と名づけた技術である。
きっかけは、ある自動車メーカーからの「製造過程で車体にキズがつきやすいので、これをカバーできる物(表面に凹凸のついた滑り止めマット)があればいいんだが」という相談であった。平面の物に凹凸の高低差を出せないものか、と考えたことが原点となって10年後に3次元構造物を連続して押出成形するという画期的な製法『3次元ハイブリット製法』が誕生した。メディアがこぞってとりあげてくれた。特に注目されたのは芝生保護・支持プレート『ターフパーキング』である。「芝生の保護プレート」という製品の存在、駐車場などに使用することで都市の緑化率向上につながること、さらに廃プラスチックのリサイクル素材がたくさん余っていること、この3点を組み合わせた製品を開発して生まれたのが『ターフパーキング』である。当時、異業種交流グループ『ギアテック』の活動をしていたので、生産はカツロン、原料は染色用プラスチック製糸巻きの金型メーカー、販路は建築資材の専門商社が開拓した。素材に廃プラスチックを使用していることが評価され、環境に優しい製品として(財)日本環境協会のエコマーク認定を受けることもできた。知名度を全国区に押し上げることができた。
今、4次元ということで時間要素を入れて製造している。凸(節)の付いた手すり『ウェーブ手すり』を開発した。手すりに節を持たせることで、単に「握る」という従来の直線手すりよりも、「つかむ」「たぐり寄せる」という動作によって優れた使いやすさを実現した。その節のスパンを50㎝(若者向き)、30㎝(高齢者向き)にしてライン生産を可能にした。30㎝と50㎝のスパンを自動的に開けてひとつの流れのなかで作ることができるというのは4次元的な世界だろうと理解している。縦・横・高さに時間要素を加えて4次元である。特許がどうのこうのということがあったが、もうここまできたら、カツロンの文化であって、これを書面で活字にしたら、かえって丸見えになるから、ほっとくという結論を出した。「絶対カツロンしかできない」という自負がある。
石川宏氏(代表取締役会長)は「いかに安くできるか強度をあげるのかが課題であるものの、3次元4次元の押出を世間に問うている間は『カツロンなら押出に関して何でもやってくれる』と思ってもらえる。そういうのは結構、楽しいものです」と語る。

平成20年、3代目社長に就任した石川明一氏の発言を紹介する。
会社ホームページのトップメッセージ冒頭は「いまKATSULONには、語りたいことがたくさんあります」である。結びは「これからの私たちKATSULONに期待してください」である。ホームページはこちら
石川明一氏がインタビューで答えた内容を編集した。引用は下記より行った。
① 平成21年版『大阪の元気!ものづくり看板企業193社』2009年2月
② 東大阪ブランド推進機構「熱きモノづくり企業の顔」2012年2月
③ 週刊ひがしおおさか「ものづくり会社探訪 前編 後編」2014年4月

祖父が創業して、父が大きくして、私が受け継ぎました。本社が東大阪、工場は八尾・奈良・栃木と4拠点。全部で120名ほど社員がいます。社員数や規模は目標ではありません。働いている社員のために100年続く会社にしなければ、と考えた結果が今の形です。それに面白いことにチャレンジ出来る会社であるためには、組織として強くならないといけません。
 
経営理念である『楽業偕悦』には、仲間と共にものづくりを楽しみ、良い結果を出し、皆で喜び合いたいという想いが込められています。当社はこれまでに5,000種の製品を製造してきました。使用した金型は10,000を越えます。これらは全て、当社が積み重ねてきた業務の成果であると同時に、成長の証でもあると思います。いつでも根幹にあったのは、自社にしかできないものづくりで、より多くの人を幸せにしたいという想いです。『世の中にないものを生み出す』。私たちの仕事と使命はこの一言に尽きます。ユニークな発想と強い実行力で、他社にない成形技術を編み出しています。当社はなんでも面白がる会社で、『難しくても面白いと思ったらまずやってみよう』というスタイルです。これをわたしたちはカツロンのDNAと呼んでいます。

樹脂は生き物です。気温や湿度によって毎日でき上がりが変わる押出成形は、人の手によるウェイトが大きいのです。だからこそ、特に若い技術者には、『自分の作った製品が、あらゆる産業の根幹を支えているという自負』を持って臨んでほしいのです。押出成形の仕事を選んで良かったと社員に思ってもらえる会社にしたいです。

2019年に当社は創業70年を迎えます。この間に培った技術力、顧客の希望を叶えるスピードは、押出成形メーカーの老舗としてお客様だけでなく同業者からも厚い信頼を得ています。これから入社される人には、100年目のカツロンを創る人になってほしいものです。

平成29年5月、高井田中1丁目の市有地を購入された。経過と抱負をお聞きした。 (7月6日、11日ヒアリング)    
 工場統合に向けての経過を説明します。本社工場が手狭になり八尾工場を建設しました。本社に経営・営業・管理の機能があり、八尾工場には開発・品質管理の機能を移して、24時間稼働の製造を担いました。しかし、八尾工場の周辺に住宅が増えて24時間操業が難しくなりました。本社と八尾工場は車で30分の距離ながら、本社機能とマザー工場を統合したいという願いを10年来、抱いていました。
 東大阪市内で用地をあたっていましたが、なかなか適地が見つかりませんでした。このたび、高井田中1丁目に市有地4,116㎡の入札説明会があることを知り、願ってもない好適地でしたので応募し落札しました。本社と八尾工場を合わせたのとほぼ同じ面積です。
 新本社工場の建設に向けて次のように考えています。2年後の記念すべき70周年に新本社工場を稼働させ、お客様にカツロンの押出技術・品質管理を見ていただき、「カツロンは日本トップクラスの押出成形メーカーだ」と実感していただければと思っております。

平成31年1月、新工場を竣工。 令和元年6月、創業70周年を迎えた。 (9月18日ヒアリング)    
新工場が立地する高井田中1丁目について東大阪市都市計画室が立案した地区計画を示す。新工場は工場集積エリア約3.2㏊に立地している。ここには住宅・マンション・老人ホーム等主に居住の用に供するものは建設できない。隣接する住工共生エリア約2.4㏊にはワンルームマンション等の狭小なマンションは建築できない。このように住民と企業がともに安心して居住し操業しつづけたいと思える環境につくりかえようとしている。その一環として新築工場には敷地内緑地率20%を課している。
土地購入、資金調達は社長先決で行ったが、新工場のレイアウトは社員で話し合って決めた。社員が10年後、30年後を見通せる強い財務体質を築くことを課題としている。その決意を込めて70周年記念誌を発刊した。結びのページを紹介する。
そこには次のように記されている。
「新本社工場は、カツロンの新たなスタートだと捉えています。 新たな開発テーマを営業・製造・技術が一体となってコミュニケーションをとり、スピーディーに新しいものを作り出し、今まで以上に新たな分野に挑戦していくことが可能となります。
カツロンは押出成形にこだわりをもち、多くの業界を押出で支えるものづくりを続けてきました。
今日まで押出に情熱を注いできましたので、これからも新しい市場を創造し、どんな可能性に対しても挑戦していきたいと思っております。
新しいことへの挑戦が私たちの根幹であり、新しい時代を築いていくことが使命です。」