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工場を記録する会は東大阪市製造業事業所の活力を記録しています

平成28年度  東大阪市
地域まちづくり活動助成事業

株式会社 河内製綱所 
衣摺3丁目

 江戸時代中期の宝永元(1704)年、中甚兵衛が旧大和川の付替を成し遂げ、その後、新田開発が盛んとなり綿作地が飛躍的に増え、全国的にも最大の産地となった。木綿・綿織物のことを「河内木綿」と呼び、江戸時代後半に隆盛をきわめた。江戸時代末期から明治にかけて河内木綿の機織を伝承する産業として、田植糸・タコ糸などの撚糸、雲斎織(足袋)、タオル業が興った。そのひとつである撚糸業に関連するのが河内製綱所である。
 撚糸とは、「問屋からの請負で手間賃をもらって綛をくり、張撚り機で撚るもので」(『東大阪市史』近代T・491頁)、「段通織が盛んになるに従って需要が増加し、また縫糸などの用途も漸次拡張したため、余業としてこれに従事するもの数十戸に及んだ」(同前494頁)。「衣摺の山野佐七は、明治中期に『木綿張り撚機械』を考案して機械化の端緒を作り」(『東大阪商工会議所五十年史』46頁)、その山野家の二男で徳美家の養子となった徳美寅松氏が、日清戦争後の明治28(1895)年、合資会社河内製綱所を設立した。製品は当初、紡糸を中心に生産されていたが、日露戦争後、漁網糸の需要が伸び、紡糸から漁網糸へ転換した。漁網糸に威力を発揮して、以後漁網糸が伸びたのには前述の『木綿張り撚機械』が貢献した。
 現在の工場はノコギリ状屋根の約3,000uの平屋建築である。それまでの工場が昭和19年の南海大地震によって倒壊したため、陸軍より払い下げられた資材をもとに建築されたものである。「陸軍からの原材支給の理由としては、当工場が陸軍の防護ネットや歩兵用の雑嚢ベルト等を製造する軍需工場であったこと」(『東大阪市の建造物』123頁)による。建設から70年を経た平成27(2015)年、最新建材を用いて屋根を改修した(下図)。

戦後の技術革新に対応した製品開発は次の通りである。
昭和30(1955)年  ビニロン糸による畳用縫糸の開発に成功、製造を開始。樹脂加工工場新設。
   35(1960)年  帝人テトロンケーブルコードの加工開始。
   54(1979)年  人工皮革の加熱防伸加工開始。
   57(1982)年  ビニロン糸を使って、エアコンのモーターコイルに使う結束糸の製造開始。
平成 2(1991)年  樹脂ホースを補強する糸を開発。
   11(1999)年  ハムの吊糸の製造開始。
   12(2000)年  自動車用ゴム紐の製造開始。
   17(2005)年  ジーンズ刺繍用ラメ糸の樹脂加工開始。
   18(2006)年  鞄用縫糸の製造開始 
平成 19(2007)年、現社長の徳美好一氏は『東大阪商工月報』(4月号、23頁)で抱負を語っている。
「弊社は、常日頃『糸の百貨店』でありたいと思っております。糸に関する事であれば、いかなることでも対応出来る会社を目指しています。お客様の要望に沿った、オーダーメードに対応することは勿論の事、万が一、自社で対応できない場合でも、老舗ならではの幅広いネットワークを活かした、同業種間の連携で、お客様の要望を解決していきます。今後の展望としては、『糸』は様々な用途で使われていますが、まだまだ、アイデア次第で新しい市場を見つける事が可能であると考えております。発想豊かに、既存の用途以外での活かし方を探して行きたいですね。」
平成23(2011)年に、洋紙を撚って糸状にしたものを加工に用いて壁紙を作ったのはその一例である。

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